こちらは立派な神社ですが、HPはどうも見つかりません。営業熱心ではないようです(笑) 主祭神は、聖神様。 私はもらいそびれましたが、参拝の栞があるみたいで、そこには以下の記述があるようです。
『往古、この付近は荒地で、田を耕しても雑草の繁茂や害虫の発生などで稲が育たず、
人々が 困窮していた。為に、時の天武天皇が、この地の首長に聖神を祭るよう
勧請された。 ここに 神社を創建すると、ご利益があってかそれ以降、稲が“
信(ノ)び信び太(フト)く”育つようになり、そこから、地名を信太(シノダ)と
呼ぶようになった』。
ん~しかし、「聖神」は、どなたなのか不明ですね? 「聖神社」と言う名前も、他には
見つかりません。古事記には「大年神と伊怒比売の子の1柱」と記載があるようです。
「大年神」は、スサノオ様とオオイチヒメ様の子供らしいので、聖様は、スサノウ様の孫だということです。もともとこの地にお住まいになられたのか、神社の栞の内容ですと、天武天皇様のご指示で祭ったのですから、ここには住んでいなかったのか?アマテラス様等の有名な方であれば理解できますが、この神社にしか祭られていない「聖様」。わざわざ「聖様」にしたのはどうしてでしょうか?
農業振興であれば「稲荷」様や「ウケモチ」様でも良いように思います。そちらのほうが有名ですから。申し訳ないですが、神社の栞に書かれている記述は、納得しがたいと考えます。
伝承も正確に伝わるものと、ねじれて伝わるもの、あとで作ったダジャレが定着してしまうものなど、全てが正しいとは思えません。聖様が御祭神だと言う事は、この地の開拓のリーダーが、聖様だったのでは無いでしょうか?
私の想像では、開拓された聖様をお祀りしていないので、作物の出来が悪くなっているのではないかと天武天皇様が考えてお祀りの指示をされたと言うものです。 「信太」(しのだ)の地名の由来も、「のびのび太く」と言うのは、妥当な線だと思われます。
日本神話さんには、『ヒジリはおそらく「日知り」から来ていて、太陽を知るもので、「暦を理解する」ということ』と書かれていて、なかなか良い雰囲気です。
実際の聖神社は、丘?小山?の上にあります。拝殿が改装されきれいになっていました。
狛犬は年代物です。劣化が激しいです。
