東照宮、天満宮からほんの少しの所に、玉津島神社があります。
神社のHP(http://tamatsushimajinja.jp/index.html)の情報では
御祭神は
・稚日女尊(わかひるめのみこと)
伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御子であり、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の妹神です。
元よりこの地におわす神で、後世、丹生都比売神(にうつひめのかみ)の御名でも
呼ばれています。
・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)は神功(じんぐう)皇后です
・衣通姫尊(そとおりひめのみこと)
衣通姫尊(そとおりひめのみこと)は第19代允恭(いんぎょう)天皇の后で、
和歌の道に秀でた絶世の美女でした。
・明光浦霊(あかのうらのみたま)
明光浦霊(あかのうらのみたま)は聖武天皇により合祀されました
とのこと。
創建時期は書かれていないように思います。
実は、ヲシテ文献には、この辺りの事が書かれています。稚日女尊はワカヒメ様と書かせて頂きます。神社HPの情報はほぼ合っていますが、実は、ワカヒメ様はアマテル様のお姉さまです。ある日、和歌山(その頃は、キシウと呼ばれていた)で、田に虫(イナゴ)が大量に発生して困った人々は、アマテル様に相談に行きましたが、あいにくアマテル様は別の用事で出張中でした。奥様のムカツ姫様が代わりに現地へ赴かれます。すると、ワカヒメ様が一足早く到着されていて、田の横で、扇を持ち、「たねはたね うむすきさかめ まめすめらのそろはもはめそ むしもみなしむ」(『種 畑種 大麦 小麦 盛豆(サカメ) 大豆 小豆らの 繁葉も蝕めぞ 虫も穢 退む』)と言う歌を繰り返し歌われていました。追いつたムカツヒメ様とお供の者も、これに同調して、みんなで扇を持ち、この歌を360回詠われたそうです。結果、虫は居なくなったそうです。
地元の人々は大喜びでした。お礼にと、ムカツヒメ様と、ワカヒメ様にお宮を造りました。ムカツヒメ様に送られたお宮が「日前神宮」(現在の場所ではなかったようですが)、ワカヒメ様に送られたのが、この「玉津島神社」だったのです。ワカヒメ様の物語は結構いろいろあるのですが、また、別のお話にしたいと思います。
ワカヒメ様の頃は、まだ、神社=宗教的なものではなく、どちらかと言えば「市役所 兼 市長の家」と言った感じだったようです。ワカヒメ様はその後に、ご結婚されて琵琶湖の方に、お住まいになられます。空家となった、この玉津島宮ですが、地元の方々は、たまには遊びに来て下さいと言う意味で維持管理されたのではないでしょうか?それから長い年月が流れ、徐々に神社=宗教的な意味を持ち始めて、ここも現在風の神社になったのだと思います。ちなみにワカヒメ様は、西暦で言うと紀元前180年頃の方だと思われます。
こちらの神社は、社務所が営業されていました。東照宮、天満宮と比べると、小さな神社ですが、歴史は比べられないほどに古い神社なのです。
