貝掛への入り口にある指出森神社。指出森って変わった名前ですよね。私が思うに、この名前は地形から来ていると思うのです。この丘は、和泉山脈から葉脈の様に伸びています。和泉山脈から指が「にょきっ」と伸びているように見えたので、この名前になったんじゃないかな。明治以前は「貝掛神社」と言われていたようです。
この神社は、実は、一度、南北朝時代に戦火で焼失したので、波太神社に合祀されました。しかし後に、有志によって再度祠を作ったということです。
秋のお祭りで貝掛地区の「やぐら」が波太神社へ宮入するのは、こんなエピソードがあったからなのでしょう。
ご祭神は、応神天皇様(ほんだわけのみこと)だそうです。八幡神と同一視されているそうです。もしかしかた別人?
八幡神は、今では、応神天皇だと言われていますが、これは、どうも神仏習合の影響じゃないかと思います。もともとは、アマテラス様の子供、三つ子の女性がいます。
多岐津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)・多紀理姫命(たぎりひめのみこと)。この3人を纏めて「姫神」となり、八幡神と言われていたと、私は、考えています。
拝殿前には、大きなクスノキがありました。
